私の華麗なる?アマチュアバンド歴・音楽歴

内容・バンド名 時代 証拠写真
家にあった電蓄で童謡を聞く。 ’かわいい魚屋さん’が記憶にある。 幼児期 なし
五福小学校で鼓笛隊に入り、たて笛をマスター。歌謡曲を耳コピーして吹きまくり、有頂天になった。 小4 なし
母親の意向によりバイオリンを習わされる。まるで’おぼっちゃま’みたい。実は、’びんぼっちゃま’でした。譜面読めないので、適当に暗記して譜面読むフリして習っていたが、すぐバレた。(譜面はいまだに弱い、ヨロシク。) 小5 なし
姉が買ってきたウクレレの音色にしびれる。コードはもちろんわからなかったが、メロディーを勘で弾いていた。’高校三年生’がもちネタ。 小6 なし
ウクレレの強靭性を試す為に?ウクレレに乗る。割れた。実験好きな子供でした。 小6 なし
いとこの清さんがクラシックギターを持っていて、’禁じられた遊び’を弾くのを見て感動。近所のけいちゃんが、そのギターをかりて、’酒は涙かため息か’を弾くのを見て再び感動。 小6 なし
姉がギターを買ってきた。今考えれば、クラシックギターともフォークギターとも言えない、当時よくあった安物のギターでしたが、やはり音色にしびれました。まだコードの意味はわからず、ただただメロディーを弾きまくった。 中1 なし
中学生の時、高校生が弾いたエレキにしびれる。カッコイイ。テケテケテケ。エレキ=不良の時代。 中1 なし
学校は違うが,同年齢の田畑君が弾いた’津軽じょんがら節’に感激 中2 なし
中学でベンチャーズバンド結成。藤吉氏、田渕君、私、他。二人がギターが上手かったので、私はベースにまわされた。 中2 なし
学校の運動会の時、中庭でベンチャーズを演奏。拍手に味をしめる。先輩たちがストーンズをやっていたら、校長先生が不愉快な顔をしていた。私たちエレキインストはお咎めなし。複雑な気分。 高1 なし
音楽の先生から「ジャズだったら、わかるが、ベンチャーズはどうかな」と言われ,傷つく。 高2 なし
田畑君たちのバンドにベースで参加。ビートルズ、R&B、クリーム、グランドファンクレイルロード、CCRなど演奏するようになる。 高3 なし
大学の軽音楽部に入部.。やっとリードギター。CCR、サンタナ、クリームを演奏。 大1 なし
バンドメンバーがジャズをやり始めた。私は不満だったが、ついていくために、イヤイヤながら4ビートジャズ(ケニーバレルのアルバム)を聞く。何ヶ月か後、同じアルバムを眠りながら聞いていたら、一瞬電気が背骨をつらぬいたように感じた。なんだ、このリズムの気持よさは。開眼。 大2 なし
これ以後ジャズをもっぱら聞く。ウェスモンゴメリー、バーニーケッセル、ジョーパスなどを聞くも、まねできず。ギターではないがコルトレーンもよく聞いた。’バラード’を聞いて、涙がちょちょぎれた。
4年生の頃、宗右衛門町のキャバレーで演奏のバイト。週2回のトラで、1回7000円。月にして56000円。当時家から仕送り30000円の時代でした。大変、割のよい仕事でした。
大3,4 なし
会社(D社)入社後 時間もないし、大学のメンバーもバラバラになったし、バンドとかやれなくなった。たまにレコードにあわせて、ジャズギターの練習。 S51〜 なし
大学祭に後輩の演奏を聞きに行く。’ホテルカリフォルニア’を聞き、なかなかいい曲だと思い、久々にロックも聞き始めた。 S52 なし
D社にてバンド結成。組合のパーティーではウケた。年1、2回のライブ。 S59

S61
写真1
熊本に帰り、とりあえずバンドやりたかったので、あるライブハウスに行きジャズバンドを紹介してもらった。ジャズを演奏するのは数年ぶりだったので緊張。これから、ズブズブとはまっていく。 S63

H7
写真2
’コーヒーはなたち’という渋い喫茶店のマスターにブルースバンドをやっている田渕氏(前述の田渕君とは別人)を紹介される。ギターとベースがいないということで、ジャズをいっしょにやっている中山氏と入団。バンド名 ファンデーション。 S63
〜H8
写真3
他にいろいろとセッション。ヤズーバンドなど。 H4〜 写真4
ファンデーションの片山、田渕、中山 アコースティックバージョンで演奏開始。この延長で’片山ホットブラザーズ’結成。ジャンゴ系・ブルース系をやり、年配にウケる。 H7〜
写真5
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