

現病歴:最初の兆候から病院受診、入院までの記録です
このページの最終更新 2001年3月29日


左の睾丸が原発なのですが、本人がはっきりそうだと自覚できたのは平成12年秋。そのころには外見でも、あれっ?と思うくらいにまで。家族も、今にして思えばと言ってます。でも痛みもまったく無く、日常生活でこまったこともなし。しかし、無痛性に腫脹し、しかもそれが増大するとなると真っ先に疑うべきは癌や腫瘍。最初に気付いたときにさっさと泌尿器科を受診してれば、痛みも無くもっと楽だったろうにと、後日談では反省してます。
四十肩?
平成13年1月下旬
左肩から左の肩甲骨・背骨にかけて凝りと痛みを覚える。それから2週間ほどその症状は徐々にひどくなりました
2月17日(土)
整形外科を受診。MRIと3方向からの単純レントゲン撮影で第5頚椎と第6頚椎間の椎間板ヘルニア(前方及び後方)が見つかり、これが神経根を圧迫して凝りと痛みがでているとの診断。所謂四十肩。当日は神経根及び下方へ向かう神経の走行部計3箇所をネンブタールでブロック。痛みはウソのように消失。消炎鎮痛剤(ロキソニン)を1週間分処方してもらう。頚椎牽引、低周波、温熱療法等の理学療法も必要とのことで、こちらの処置は懇意にしてもらっている仕事場の近くの内科医院のお世話になることにした。ただ、この時点では精巣の腫脹のことは整形外科、内科の先生には告げていませんでした。自分の頭の中でもそれと肩の痛みとを関連付けて考えることは、全くありませんでした。
3月初頭まで
炎鎮痛剤を毎食後に服用すれば日常生活も問題なく過ごせました。ただし、2月の終わりころには鎮痛剤の効果が5,6時間しか持たず、夜中に痛みで目が覚めるようになっていました。さすがこのころになると、これはちょっと変だな、と思い始めました。
精巣癌の脊髄転移であることを自覚
平成13年3月5日(月)〜7日(水)、たったの3日間で歩けなくなってしまった!
3月2日(金)
夕方から2泊3日で上京しました。
3月3日(土)
御茶ノ水で大学院時代の恩師の退官記念祝賀会。鎮痛剤なしでは相当な痛みがありましたが、ボルタレンを20個ほどポケットに入れての出張。
最初に診てもらった整形外科医のアドバイスに従い、痛みを助長する飲酒はなるべく控えていたが、この3日夜には久々に再会する研究室仲間と午前1時ころまで騒いでいました。
3月4日(日)
夕方の羽田→熊本便を予約したありましたので、かなりの空き時間があり母校医科歯科大学の図書館を10年振りに訪れて、自分の病気のことを調べました。後で考えれば、インターネットでホームページ検索をかければもっと早く同じ結論が得られていたとは思いますが、結果的にはこの行動が私の運命を決めることになりました。
調べた結果、私の置かれている状況は精巣腫瘍の脊髄転移で、恐らくその場所は現に痛みのある胸椎であり、しかもこのような場合の病状の悪化は恐ろしく速いことも解りました。
この3月4日の午後から初めて出た症状が、上体の後屈に伴う鳩尾部から大腿部にビーンと走る電撃様ショックでした。それでもこの日の夜まで歩行に関してはまだ何の不由も感じていませんでした。
3月5日(月)
起床時に鳩尾から大腿部前面にかけて、皮膚表面の違和感、シビレ感を覚えました。足の動きに少し不自由も。
仕事場へはいつも通り自転車で。
普段通り夕方まで仕事をし、夜は歯科医師会の打合せで、歯科医師会館まで自転車で往復。帰宅は11時ころ。
自転車から降りる時にはちょっと慎重にならざるを得ないくらい、腰、腿の動きが悪くなってきていました。
3月6日(火)
朝、足がフラつきスッとは立ち上がれなくなっていました。それでも何とか自転車で仕事場へ。お昼には真っ直ぐ歩くことが困難になっていました。これはいよいよダメだと観念しました。
午前中に熊本大学医学部付属病院脳神経外科に勤務する高校時代の友人に「私を助けて!」と題する発症からの経緯を伝える火急のメールを送りました。ただこの友人は出張も多く、また長時間に及ぶ手術も日常であるので、今日中に連絡が取れない場合に備えて、お昼に前述の近所の内科医に精巣腫瘍のことも含めて相談しました。そちらの結論は、今日の仕事が夕方終ったらすぐに近くの泌尿器科病院を受診することでした。内科の先生にはその場で泌尿器科病院に電話で紹介して貰いました。夜7時に当直の先生に診ていただき、原発病巣の左睾丸は明日にでも局所麻酔で摘出し、2,3日して熊本国立病院の泌尿器科または整形外科に転院して、下半身の神経症状に対応しましょう、ということになりました。この時点では、内科の先生も泌尿器科の先生も原発病巣のことと、左肩の痛みに始まった一連の下半身神経麻痺症状を関連付けて捉えられてはいなかったようです。しかし私の意識は”転移”に集中していました。
7時半ころ泌尿器科病院から帰り家内、長男、母親と近所のファミレスで夕食。食欲はあり食べるのだが腹の何処に入ったか、その辺の知覚が消失して解らない状況。階段の昇降は支えがないと出来ないところまできていました。
午後9時前に帰宅すると、夕方に長時間の手術を終えて私からのメールを読んだ脳外科の友人からの留守電あり。すぐに指定の電話番号に。
彼の判断ではメールを読む限り、精巣腫瘍の胸椎転移による脊髄神経圧迫症状で、日に日に悪化する症状の進行速度からみて間違いないだろう。原発病巣に対しても急を要するが、それよりも脊髄圧迫による神経麻痺は一旦それが完成してしまうと回復不可能、つまり癌は治っても下半身不随になるので、そちらに対する処置が先である。ことは急を要する。明日の午前中なるべく早い時間にMRIの撮影予定を入れてもらうよう手筈をするから、ということであった。
不幸にしてビンゴ!私が母校図書館で出した結論とピッタリ一致したわけだ。
後日聞くと、このような症例は滅多にはないのだか、彼は過去に同様の症例を一度経験したことがあったそうだ。
3月7日(水)
一晩中眠れなかった。
肩と背中、胸の痛みもさることながら、始終足を動かしたり、立ち上がってみたり。実は、麻痺が完成していないことを始終確認していないと不安で仕方なかったのです。
やっと夜が明けました。8時前に職場のスタッフに事態の概要を携帯で連絡、今日は臨時休診です。
朝食を食べ終え、8時過ぎに脳外科医から電話があり。MRIの予約が取れたのでなるべく早く大学病院脳外科外来に来るように。
自宅から大学病院は500mも離れていないところです。家内に運転してもらいましたが歩行すら困難な状況で、壁伝いにトボトボ。病院入り口で車椅子を借りました。
外来で診察、10時半からMRI。実はここの放射線科にも高校時代の友人が勤務しています。小一時間で撮影が終わり、やはり第3及び第5胸椎の椎体に転移があり、それが大きくなって脊髄を圧迫しているとのこと。硬膜外脊髄腫瘍です。とりあえずステロイド(リンデロン)4mgを静脈注射し、局所の腫脹を抑えて神経圧迫の緩和を図りました。
外来で行った血液中の腫瘍マーカー検査で、腫瘍組織形がもっとも予後良好であるピュア・セミノーマではなく混合腫瘍であることが推察されていましたが、脳外科の友人が泌尿器科の助教授の先生にコンタクトをとってくれ、夕方4時前から緊急手術を行うことになりました。ここで胸椎転移病巣の脊髄神経圧迫部に対する処置をどうするかが一つの課題でした。
精巣腫瘍の摘出自体は局所麻酔、または腰椎麻酔でも出来るのですが、戦略的に全身麻酔下で手術をすることになりました。
つまり、まず泌尿器科医が原発病巣を摘出。直ちに急速冷凍で切片を切り出して組織の病理確定診断を下し、放射線や抗癌剤による化学療法がよく効くタイプ(主にセミノーマ)なら脊髄への緊急外科処置はしない。しかし非セミノーマの一種であるテラトーマ(奇形腫)ならこれらの治療法では著効がないので直ちに眠れる我が身体をうつ伏せにひっくり返し、圧迫部の胸椎椎角から削合し、脊髄の減圧処置(スパイナル・オペ)を行う。そのために脳外科医も臨戦態勢で横にスタンバイ、というわけです。
結果的には手術は左精巣の摘出のみで終了しました。午後5時半、麻酔から覚醒したらカタキンだった。
6時過ぎから、これまた緊急で第1回目の放射線療法を開始。線量3グレイ。同時に多剤併用化学療法もスタート。
あれほどだった肩と背中の痛みはもう無く、手術した部位が多少痛い。ボルタレンの座薬を入れてもらい解消。
これで命が助かった、と思うと本当にうれしく思いました。周りの全ての人たちに心から感謝です。
