講演会  大野勝彦が行っている講演会について。内容や様子の紹介です。

不慮の事故で両手を失った私ですが、そのことによって人のぬくもり、やさしさに初めて気づきました。家族やそばにいる人を大切にしたいという気持ち、ありがとうという気持ちをたくさんの人に伝えたくて、全国を講演して回っています。

壇上で書を書く大野勝彦

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これまでの演題

『天使とオニババ〜神さまからの贈り物〜』

『大切な人の喜ぶことを〜失って見えてきたもの〜』

『やさしさとありがとうを大切な人に』

『ほんとうのゆたかさとは〜笑顔はたから〜』

『明るい家庭にやさしい子が育つ』

『大切な人の喜ぶことを〜ふり向けば母の愛が〜』

『両手への賛歌〜両手を失って気づいたこと〜』

『倖せは自分でつかむもの』

『命に感謝』

『失って、みえてきたもの』

                    他etc.

自筆の書を前に講演をする
自筆の書を前に講演をする


機械が両手に…「まだ死なれん!」

熊本市から東の方へ入りますと、杉並木がありますが、そこが私の住んでいる菊陽町です。話に入る前に、みなさんに机の上に手を乗せて、それぞれによく見てもらいたいのです。
 自分の手を、机の上に乗せてもらえませんか? よく見てやってください。多分、5本ずつ両手にに指が付いていて、関節があって、大変よくできております。
 その手で、お箸を握ってご飯を食べたり、鉛筆を握って字を書いたりと、私達は朝から晩まで仕事をしている訳ですが、私は手がまだある時は、1回もその手に、「ありがとう」と言った事はありませんでした。
 他の人が手を持っていて当たり前、友達が持っていて、自分が持っていて当たり前。1回も感謝の気持ちを、手に言った事がありませんでした。多分今、私に手が付いていたら、私は毎日寝る時に手を見て、
「今日は世話になったねえ、ありがとう」
と、言ってから寝ると思いますが、現在の私には、残念ながらそれができません。
私は生まれつき、両方の手が無い訳ではありません。平成元年7月22日の午後3時半ごろまでは、五体満足で両手を付けて、バリバリと百姓をしていました。
 その日は、朝早くからニンジンの植付け準備のために、トラクターに肥料散布機をつけて畑に肥料をまいていました。昼過ぎに散布が終わり、庭先で散布機を洗うことにしました。水道のホースを引っ張ってきて、左手で握って、右手で洗車ブラシを持って、水を出しながら、ゴシゴシと洗っていました。上から水をかけてふと見ると、心棒の右側にゴミが付いていました。エンジンを一番スローに落としていたので、心棒はゆっくりと回っておりました。
 「このゴミを、ちょっとつまんで捨てると、洗い終わってよかなあ」と思って、右手でゴミをつかみました。
心棒にはプロペラのような羽根が付いていて、一回転に一度だけ上の方に出てくるのです。私がゴミをつまんだ時は、その羽根は下側にあって見えませんでした。
 ところが、つまんだ瞬間にその羽根出てきて、私の右手の指をバッと挟んでしまったのです。挟まれた手が、バリバリと音をたてて下に回って、ペチャンコにつぶれて下から出てきたのです。要するに、紐か縄が巻きついたように、ペチャンコにつぶれた手があ、段々と巻かれて入っていくのです。
私は、「しまった!」と思って、右手を取ろうとして左手を差し出しました。その結果、今度は両方の手が巻き込まれてしまったのです。私は大声で叫びました。
「誰か来て!助けて!」
 時ならぬ声に、家の中から母がバタバタと出て来ました。しかし、私の母には機械の止め方が分からない。「どうすればいいの!」とバタバタしておりました。
 手が全部巻き込まれてしまうと、次に肩が入って、頭が入って…。
「うわー、俺はこれで死んでしまう」
 そういう状況の中で、色んな事が頭の中に浮かびました。友達のこと、嫁さんのこと、三人の子供のことなどが浮かんできました。
「うわー、俺はまだ死なれん!」
私は最期と思って、反動をつけて体を思い切り後に引いて、自分の両手を引きちぎりました。
こ んな訳で、平成元年の7月22日を境に、今までとは全く違った世界が始まりました。
手を失ったことによって、人のぬくもり、やさしさ、家族の大切さに気づきました。そうして、ありがとうという気持ちをたくさんの人に伝えたい…と全国を講演して回っています。